001.泡沫











 食後、食器を洗っていると、後ろから声をかけられた。

「人は儚いものだよ」

 真後ろから響いた声にどきりとして、人狼は皿を洗う手を止めた。いつの間に後ろに立ったのだろうと思って、僅かに首を後ろに向ける。すると、本当に間近い場所で、吸血鬼の銀髪が窺えた。
人狼は首を戻すと、背中に彼の体温を感じながらも、止まってしまった手を再開して聞いた。

「急にどうしたんっスか?」

 今までも、吸血鬼は唐突に話を切り出す事が多々あったので、人狼は別段たいした不思議もなく、問い返した。けれど、吸血鬼はその問いに答えず、人狼の背中へそっと、手と額をぴとりとくっ付けた。急な行動に人狼の心臓が強く脈打ち、どうしようもなく、動揺した。吸血鬼の接触はいつだって唐突だ。また、手が止まる。

「……ユーリ?」

 なかなか言葉を紡ごうとしない吸血鬼を訝しんで、名を呼ぶ。心の中、心臓が早鐘を打つのが聞こえてしまっているんじゃないかと、危惧しながら。
人狼の呼びかけにも、しばらくの沈黙が落ちた。
吸血鬼は、名残を惜しみながら、静かに人狼の広い背中から額を離すと、少しだけ距離を開けた。自分の背中に触れていた彼の体温が離れる。それが、少しだけ淋しい。

「泡沫の夢とはよく言ったものだが…」

 カタリと音がした。イスにでも座ったのだろうか。静止したままの己の手を見つめたまま、人狼は思う。思えど、振り向いて確認する事は出来なかった。吸血鬼の美しい声に耳を澄ます。

「私にとって人の一生など一瞬。夢をみる暇もない」

「…ユーリ?」

 振り返って、イスに僅かに凭れ、体重を預けたままこちらを見つめる吸血鬼を見た。手に付いた洗剤や泡や水が、一緒くたになって床に落ちて染みを作る。吸血鬼は人狼の深刻な顔を見て微笑を浮かべた。そして、開いていた距離を詰めて、彼の横に並ぶと、水が張られ、洗剤の泡がいくつも浮かぶシンクをじっと見つめる。人狼もその視線の先を追う。それが辿り着いた頃には、吸血鬼の長く細い指が水に浮かぶしゃぼん玉のような大きな泡に触れようとしていた。長く伸ばされ、真赤に塗られた爪が、指よりも先に泡に触れ、虹色の半球は瞬き一つの間にはじけて消えた。
吸血鬼は人狼に目を向けると、じっと彼の赤い目を見て、その綺麗な声で紡いだ。

「瞬き一つ」

 人が生き、死ぬ。それはそんなにも短い時間の出来事なのだよ。
吸血鬼は言外にそう言って、笑んだ。そして、踵を返して部屋の戸へ足を向ける。ノブを回して、振り向きもせずに部屋の外へ。けれど、吸血鬼は戸を閉める直前に、美しく、冷たく冴えた声で呟く。

「お前も…」

 静寂に、部屋の戸が閉まった音だけが響いて、人狼の足元には淡い染みが残る。シンクの中、残っている大きな泡が一つ、またはじけて消えた。





 それでも、俺は貴方の瞳に一瞬でも映ることが出来たなら、それだけで。




















 fin.









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