008.背中











 夜の闇の中に君の背中を見つけた。



 ふわり、と一瞬の幻のように目に飛び込んできて、次の瞬間には消えていたのだけれど、黒いスーツに身を包んだ吸血鬼の背中が見えたような気がして、狼男は目を凝らした。城の庭の、草木の陰の中、華奢な彼の背が垣間見えた気がした。闇に紛れて、今は姿形すら浮かんでは来ないが、狼男は確かに彼の背を見た。幻でも、錯覚でもないと確信できる彼の背の赤を見つけた。

「ユーリ、散歩ですか?」

 開け放たれた窓、そこから身を乗り出して問えば、夜の張り詰めた空気が揺らめいた気がした。けれど、吸血鬼の姿は現れない。

「俺も一緒していいですか?…今日は月が綺麗だから」

 狼男がどこにいるかも知れない吸血鬼に笑いかけて言うと、遠く離れた巨木の陰、目もくらむような暗闇から白銀が滲み出た。その合間に覗く紅の瞳に、狼男は一層嬉しそうな顔で微笑む。闇に映える吸血鬼は無表情のまま、目を細めて静かに呟く。

「ひとりがいい……」

 到底、呟きが聞こえる距離ではないのに、彼の言葉は耳に沁み込んだ。狼男は耳をひくりと動かして、でも。と言葉を返す。

「でも、俺は貴方と行きたいんです」

 夜風が地を這うように通り抜ける。吸血鬼の前髪が揺れて、風の吹く間、彼の恐ろしく光彩の欠けた目が露になった。その目は虚空を見つめていて、現実のものなど何も見えていないかのようで、狼男は訳の分からぬ焦燥が湧き上がるのを感じた。光のない目が瞬きを繰り返す。

「だから…」

「ひとりがいいと、いっただろう?」

 子供を説得するような優しく丁寧な声音で言って、吸血鬼は首を傾げた。白銀がさらりと揺れる。困る。そういう動作なのだろう、表情は一片も変わりはしていないけれど。
 また、風が吹く。川底を流れる水のような風が、吸血鬼の髪を揺らす。白銀が闇の中で舞う。吸血鬼のいる闇と、彼の白銀に、狼男は目がくらむ。まったく同じで、まったく別の現象に狼男は戸惑う。闇と光に、同時に目がくらむなど、どうしてそんな事が有り得るだろうか。
 沈黙が夜に落ちる。狼男は何も言えず、吸血鬼の姿を見つめるばかり。
 やがて、吸血鬼の姿が闇に溶け出す。透明人間でもないのに、ゆっくりと闇に溶けていく。白銀でさえ。また、紛れてしまう。見失ってしまう。

「ユーリ!」

 狼男の吸血鬼を呼ぶ声が響き、闇と同化した紅の目に、一瞬だけ光が灯った気がしたが、今度こそ彼の姿が現れる事はなかった。





 吹き上げるような強い風が吹き、追って仰げば、夜空の彼方に彼の背を見つけた。




















 fin.









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