062.蜂蜜











 透明なガラスポットの中で、琥珀色の液体がその鮮やかな色を増してゆく。

 とろけるようにゆっくりと溶け出す甘い色。注ぎ口から立ち上る柔らかな湯気。大きな水滴をつけたポットの蓋。バルコニーから注がれる暖かな陽光が部屋の中を満たして、視界は薄くセピアに染まる。
 うっすらと開けた瞼で静かに眺める世界。耳には心地よいカフェサウンド。そして、

「スギも飲む?」

 レオの声。

「飲むよ」

 上から降ってきた声に答え、スギはさらに目を細めてソファに深く沈みこむ。レオの気配が少しだけ遠ざかるのを感じ、スギは耳を澄ます。ガラスのぶつかる澄んだ音が耳に響いた。

「甘いよ」

「飲む」

「匂いが」

「あっそう」

 他愛ない会話をして、一人微笑んむ。レオにはその片鱗も見せず、スギは透明なガラスカップが猫足のテーブルに置かれるのを見る。陽光に当たってガラスカップが明るい影を落とす。レオがソファを背もたれに床へ座り込む。スギは彼の色素の薄い髪を視界の端に捉えた。

「まだ?」

「あと一分待ってよ」

 タイマーが鳴るまで。付け足して言って、レオはソファに頭を預けて上向く。目を閉じ、紅茶がおいしくなるまでの僅かな時間を待つ。スギは薄く目を開けたまま、まどろんでいる様な体勢で静かに呼吸を繰り返す。
 暖かな陽光が部屋を満たしている。ポットは光に照らされて、琥珀色の影を落とし、カップは白い影を落とす。レオの髪は栗色から琥珀の色へ透ける。
 やがて、タイマーの高い音が時間を知らせ、レオは体を起こして紅茶をカップに注ぎ始める。液体は静かにガラスの中で揺れ、きらきらと夏の海のように光を反射する。注ぎ終えてレオは立ち上がり、キッチンから小さな瓶をいくつか持ってきて机上に置いた。ジャムを紅茶に入れるつもりだと知れて、スギは今更のようにレオが甘党だということを思う。
 レオは並べた中から一つの小瓶を選んで開けた。それが何なのか、レオの背に隠れてスギには見えなくて、けれど、彼が小さなスプーンで掬った中身を紅茶に入れず、自身の口元に運んだのは分かった。だから。

「レオ」

「ん」

 振り向いたレオの無防備な唇を猫のように舐めた。

「…蜂蜜」

「そ…だけど……」

 目を瞬いて見つめてくるレオの視線を受け、スギは少しだけ微笑んだ。

「まるでレオみたい」

「どういう意味?」

「甘い」

「僕が?」

「ううん。全部」

「今が全部?」

 返された言葉を受け止めて、スギは嬉しくて微笑んだ。言葉少なに伝わる気持ち。差異なく伝わっているという根拠のない確信からくる安心感。それらに伴う充足。
 スギはレオの首に腕を回し、抱きつく。肩口に顔をうずめて、レオの体温を肌に感じる。その温かすぎる熱。まるで、猫のような。

「…そう。蜂蜜みたい」

 蕩けるような甘い琥珀黄金の今に溶け込んで、泣きたくなるような幸福に包まれる。
 だから、潤んだ目から涙が零れる前に、スギは目を閉じた。



 カップから溢れている湯気が、部屋の空気に柔らかく溶けていく。




















 fin.






for サイチ様
2003.蒼鳩 誠



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