『 GINGER ALE 』








今日一日の仕事を終えて、疲れた体を引きずりながら帰路につく。既に傾いている初夏の日差しがじりじりと肌を焼いていく。
一日が終わりかけているというのに、それでも気温は下がる事を知らないのか、暑い。車検にだしている車の有り難味を改めて実感してから、とりあえず無いものは仕方がないと自分に言い聞かせ、今日はスタジオ近くの駅へと向かう。切符を買って、改札口を通って、ちょうど来た電車に乗れば、運良く座席に座れた。荷物を抱え込むようにして、膝の上に置く。向かいの窓から西日が射していて、少し眩しいから目を細めた。そのまましばらくすると、電車独特の心地良い揺れに瞼が重くなっている事に気がつく。ダメだ。ここで寝たらダメだ。今寝たらきっと終点に着くまで起きない。最悪の場合、倉庫に行くまで起きない。頑張れ僕。家には相棒が首をながくして待っているんだ!そう、スギは大袈裟に自分を励ました。それでも瞼は重くなるので、いよいよ耐えかねて席を立つ。迫り来る睡魔から逃げるように、ドアの近くへと移動して太陽が臨めない側の窓の外を眺めた。これで幾分か、気が紛れるだろう。
 
知らない街並みが通り過ぎていった。

駅から家までの道のりにあるコンビニに寄って、飲料水の置いてあるあたりを見回す。
数分そこをうろつきながら、思案する。
いつもなら、ビールを買って帰る。
でも、今日はなんだかジンジャーエールが飲みたい気がする。
一人怪しく唸りながら腕組。
そうして思案した結果、結局のところは何も買わなかった。
別にお金が足りなかったとか、そういう間抜けな結果ではない。
単に、昨日の昼にジンジャ−エールをスーパーの特売で買ったのを思い出したからだ。
レジを素通りして帰ろうと足を進めたら、新作のチョコレート菓子が目に入ったので、
何も買わないで店を出る事への気まずさから、とりあえずレオへのお土産に買っておいた。

「ただいま」
小さなコンビニ袋を引っさげて帰れば、まず始めに聞えてきたのはテレビの野球中継の音。 スギはそれを気にするともなく、ドアに鍵をかけて、チェーンロックまでして、靴を脱いだ。リビングのドアを開けてから、レオがようやくおかえりと言ってくれたので、スギはもう一度ただいまと答えた。
手に持っていたコンビニの袋をレオの前に差し出すと、お土産。とだけ言って、レオの座っているイスとセットで買った机の上に放る。レオはそれに生返事を返すだけで、テレビ画面から目を離さなかった。
スピーカーからはボールをバットで打った時の高い音が聞こえ、観客の歓声が一層大きくなったのも聞こえた。レオもそれに合わせて、よしっ。と声を漏らす。
チョコレートが好きというこの相棒は、その子供じみた所に似合わず、時折親父くさいのだ。この年で野球中継に見入るなんてさ。まぁ、僕も嫌いじゃあないのだけれど。その光景を半ば呆れた目で見つつ、スギは手を洗って冷蔵庫を開ける。
そして、閉める。
炊事場をもう一度見やって、今度は吹き抜けになっているため良く見える、先程袋を放り投げた先の机を見た。
あった。
スギは静かに移動して、レオの向かいにストンと座った。しばらくはスギも画面に視線をやって、野球を見る。
観客の歓声と解説者の絶え間ない話に耳を傾けながら、じっくりと間をおく。そうしてから、スギはやっと切り出した。
空になったジンジャーエールの容器を見やって。
「ねぇ、レオ。僕のジンジャーエール飲んだんだね」
「あ〜、うん。飲んだね。」
特に反省している様子も見せずに、ただ画面を見続けながら、まるでうわのそらという感じで答えた。
「・・・だって、チョコにはジンジャーエールでしょ?」
「僕の記憶が確かなら、レオ君。君は一週間前に『チョコには牛乳』と言っていたはずだけど?」
「うん。言ったね」
「変わってない?」
「うん。変わってる。時と共に人は変わり行く存在なのだよ?スギ君」
「それは重々承知しているとも。人は時としてそれを運命と称す事だってあるのだからね」
「そう、これは運命なのですよ。君がもし昨日、このジンジャーエールを買って来なければ、もしくは君が牛乳を切らしたりしなければ、僕はこんな事はしなかったさ」
「そうだね、レオ君。そういう事態が重なれば、想定されていた未来は急に姿を変える事だってある。そう、運命だったんだね。こうなる事は」
スギは一息つく。
ため息にも似た空気を吐き出す。
けれど、怒った様子はまったく見受けられない。そうして、目線を合わせない会話は、いったんそこで途切れる。レオは画面から目を離さずに、淡々と喋り続けていた。スギはそんなレオを見つつ、同じように淡々と喋り続けていた。
テレビからはまた、ボールが打たれた時の高い音。
観客の歓声。
解説者の絶叫。
レオが舌打ちする音。
机の上には、かつてジンジャーエールが入っていたペットボトル。
レオが食べたであろう、スギのお土産と同じ、空のチョコレート菓子の箱。
袋に入ったままのスギのお土産。
イスに座る二人の表情は、苦々しいチョコレートと炭酸を抜いたジンジャーエール。
そういう風に見て取れない事もない。
点数を敵に取られたチョコレートと、相棒とのやり取りに気が抜けたジンジャーエール。
そう言えば、そういう風に見て取れない事もない。
やがてジンジャーエールの方が立ち上がって、イスに掛けていた帽子を被る。
チョコレートはやはり目線を合わせずに、どこに行くのかと尋ねた。
「例の物を買いにちょっとそこまで」
ニヤリと、何処かの映画俳優の真似でもしているのか、ニヒルな笑いをわざとらしく浮かべた。まったく似てもいなければ、まったくニヒルでもないのだが。生憎、誰も見ていないから誰も気付かない。スギはそんな事に気付いた様子もなく、玄関へと足を進める。その背中へとレオは言葉を投げかける。
「あ〜・・・僕も行く」
それに振り返ったスギが、いつの間にか自分とお揃いの帽子を被ったレオを、目を瞬きながら見た。レオはさっきまであれ程真剣に見ていたテレビを何の躊躇いもなく消して、スギの傍まで早足で近づく。そこでようやくスギは、珍しいねぇ。と僅かに笑った。
そんな事はないでしょう。と無邪気に笑ってレオはスギを玄関へと促した。
ばたんと鉄の扉が閉まる音がして、ガチャリと鍵のかかる音がして、部屋から喋り声は遠くなる。
「・・・あぁ、はいはい。気付いてたのね」
「もちろん、君のお土産が空だって事ぐらい、投げたときの音で判断出来るって。まだまだ未熟だねぇ」
「それはそれは、御見それいたしました」
そこで二人は噴き出して、笑みをこらえながら歩き出す。
結局、レオにとってチョコレートが最上級なのだ。


そう、チョコレートあってこその野球中継。
・・・なにそれ。
それプラスジンジャーエールで文句なし。
贅沢だね。

笑いが絶えることはなく。


太陽は既に沈み、肌を焼く光はなく、緩やかに光りだした月が濃紺の夜空に美しく飾られていた。
そうして喋り声は更に遠くへ求めるものを得るため旅に出た。












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