『 春になったら (spring is here) 』










睦んだ後の甘い空気が暗闇に溶けていて、息をするたびに蜜の味を口内に感じる。彼の熱がまだ体の中に残っていて、汗ばんだ体は痺れるような余韻に満ちている。
照明を一切つけず分厚い遮光布で窓をきっちり閉じて、少しの光もない暗闇。相手の輪郭すら窺えない。己の手さえ目の前に持ってきても見えない。まるで、体の境界が闇に溶けてしまったのではないかと疑いそうになる。そのような暗闇の中で、睦んだ。
どちらともなく誘って、視線を絡めて、一人が部屋のドアを閉め、もう一人が窓の遮光布を閉めた。申し合わせた訳ではない。自然、なるようになっていた。どちらも暗闇の中でしようなどと言ってはいない。なるように、なっていた。ただそれだけ。それなのに、暗闇の中で求め合い触れ合った体はいつも以上に愛しくて、相手の熱に自身が興奮するのを感じた。深い口付けを何度も交わしながら、服を脱がせ、脱がせられ、手探りで見つけた寝台に押し倒される。仕方の分からない子どもように相手の体を確かめるように触れて、まさぐって。キスをした。どこだか分からない場所に唇を触れさせて、舌を這わせて、彼のくすぐったいと笑う声を聞きうけて、その声はとても耳の近く、すぐ傍で聞こえ、耳たぶを甘噛みされる。嫌がるように顔を逸らせば、音を立てて離れる唇。背筋にぞくりと痺れが走る。思わず息を吐く。その吐息を聞いたのだろう、彼が笑った気がした。そして、鎖骨、胸、腹、順に長く短く唇が落とされる、何度も何度も。冷たい肌に彼の熱が落とされる。落ちていくその度に溶けてしまいそうだと思う。冷たく凍えた肌が熱く焦げてしまいそうになる熱に優しく解きほぐされていく。そんな風に感じた。手を伸ばす。彼の頭を掻き抱こうと手を伸ばし、髪に触れる。
吐息の間、名を呼ばれたのを確かに聞いて。後は鮮烈な熱だけを感じた。





未だに何も見えない暗闇の中、体にかけられたシーツが僅かに動く。蜜のように甘い空気を味わうかのようにゆっくりと息を繰り返して、そんな甘い空気を嫌悪していた自分が、静かに息を繰り返して、闇の中、彼の体を捜して手をさまよわせる。見つけるその前に、先に彼の大きな手が自分の髪に触れる。そっと柔らかく触れてきて、私は更に手を伸ばす。彼の耳をきゅっと掴む。先刻と同じように彼はくすぐったいと笑って耳をぱたぱたと動かした。嫌がる彼の仕草に、それでも離そうとしなかった手は、彼の大きな手に捕まる。捕えられて手の先に口付けを受ける。次いで手の甲、そして、唐突に額へ。抱き寄せられ、頭を撫ぜられる。

「ねぇ……」

発せられた声の振動。近くに彼の咽があるのを知る。彼の熱い動脈があるのを知る。眼を閉じれば、先ほどまであった暗闇と変わらぬ闇の中で、それはより鮮明になる。脈動が聞こえる気がする。耳を澄ます。

「一緒に桜を見ましょう…」

甘い声。甘い熱。甘い誘惑。彼の言葉に、狂い咲きの桜の鮮やかな紅い色を思い出して、夢想する。
さくらがはらはらとはかなくちるなかであかいあかいちにまみれたじぶんのすがたとさくらのきにからだをあずけてちをながすかれのすがたをげっこうがあわくてらす。
甘い夢。
愛しさに触れ合うように、確かめるように、ぶつけ合うように、睦んだ。それなのに変わらずにある漆黒の闇。自身に内在する暗き闇。こんなにも愛しいのにそれは確かにあって厭うべき願望を生み出す。こんなのにも愛しいのに。だからこそ見てしまう甘美な幻想。
目を閉じる。
耳を澄ます。
彼の吐息を感じる。彼の心音が聞こえる。
そして。
静かに紡がれる優しく甘い言葉。どこまでも温かで愛しい熱。嘘のように傍にある。いつか見た夢のように傍にある。ずっとずっと手に入れたかったものが今ここに。

「春になったら……」

「………っ…、…ああ」

甘い睦言は蜜に溶け、甘い夢は暗闇に溶けた。






























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