『 桜月夜 』









ほら、はぐれないように手を繋ぎましょう。
闇に紛れてしまいそうな貴方へ手を差し出す。


白くて華奢な手は躊躇って、それからゆっくりと触れた。その手を握り締めて彼は道の先を行く。二人の間を夜風が通る。桜の花弁は見事に舞い、ひらりひらりと淡い軌跡を描く。
雪洞も何もない道を行く。暗くはない。夜空に雲がない。けれど星は見えない。
月光に輪郭がぼやける桜。ふと足を止めて彼は夜空と共に仰ぎ見る。その先には藍に引っかき傷をつけたような細い三日月が彼らを見下ろして其処にあった。

満月もいいけど、三日月も綺麗っスね。

振り返らずに天空の彼方を見上げたまま言えば、そうだな、今更気付いたように見上げて答える。同じ場所を仰ぐ。
風はふわりと花弁を揺らし、銀糸を揺らし、頬を擽る。目を細めた。
それからつと手を引かれ、再び歩き出す。ついて行こうと足を動かす。花を見ているような、見ていないような、そんな歩調で彼は前を行く。それについて行く。
繋いだ手は汗も掻かないほどゆるく結ばれている。それなのに。

眼前に花びらが迫って、思わず歩を止めた。目に入ってしまうのではないかと思われて、眉を寄せて目を閉じる。瞬時にそうしてしまって、けれど一瞬背中に嫌な緊張が走って、その行動を酷く後悔した。


手を、放してしまってはいないだろうか。


あれ程ゆるく繋いだものが、弾みに解けてしまわないだろうか。足を止めた。彼はそれを知らない。だから。

どうしたんスか?

掛けられた言葉に少しずつ瞼を持ち上げる。そこには微笑んだ彼が居て、恐る恐る視線を落とせば、繋がれたままの手が変わらずにあって、安堵の為か誤魔化すためか分からないけれど、微笑み返して何でもないと言う。すると、首を傾げて不思議そうに紅色の瞳を見つめる。だから苦笑して、桜の木を見て、花びらが、と求めた返事を返す。
花びらが目に入ってしまいそうで。
同じように薄桃の群れを見上げた彼は、それを聞くと可笑しそうに笑って。

そうっスか。

またゆっくりと歩き出した。





手を差し出したのは彼で、それを掴んだのは私。
では、共に歩こうと言ったのはどちらであったか。



闇夜に浮かぶ月は猫の爪のように細い。満開の桜は月光を淡く跳ね返して闇を溶かす。風に花弁が散り、二人の間をすり抜ける。桜吹雪は地面に積もらず、ただ風に吹かれるばかり。
前を行く背中は月光に輪郭が淡い。触れているのは繋いだ掌だけで、幻のような光景を前に、現実味があるのは伝わる体温だけ。
ぼんやりとした闇の中、彼は自然と立ち止まり、月と、闇と、桜とを仰ぎ見る。その目線を追う。同じ場所を見ようとする。見ようとするのだけれど、本当に同じ場所を見ているかは分からない。どれを見ているのかさえ分からない。けれど、彼は仰ぎ見て、聞き取れぬほどの囁きを零す。


「・・・儚いですね」


ようやく何を見つめているのかが分かったような気がして、けれど。けれど。


「・・・ああ」


同じような囁きを彼に送る。
桜は綺麗に潔く儚く散っていく。月光を浴びて闇を溶かしながら、風に吹かれて舞い散る。その姿を見つめて。今しか見えぬ姿を見つめて。

また腕を引かれて歩き出す。










繋がれたままの掌に泣き笑いような顔をしてしまって。





この手を振りほどいてしまえれば、どんなに楽だろうと、思った。






















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